アルナーチャラに捧げる賛歌
バガヴァーンはアルナーチャラへの愛と明け渡しを詩にして捧げました。それが『シュリー・アルナーチャラに捧げる五連の詩』です。彼はその『五つの賛歌』の最後の詩をはじめにサンスクリット語で書き、それからタミル語に翻訳しました。それを書くことになったときの話は驚くべきものです。ある日、ガナパティ・シャーストリがバガヴァーンにサンスクリット語で詩を書くことを求めました。すると彼は笑いながら、「私はサンスクリット語文法の基本を知らないし、サンスクリット語の韻律さえ知りません」と答えたそうです。しかしその夜、彼はサンスクリット語で五つの完璧な詩を創作したのです。以下はその訳です。
シュリー・アルナーチャラに捧げる五連の詩
1. 恩寵に満ちた甘露の海よ、宇宙さえも包み込むあなたの輝きよ! ああ、至高なるアルナーチャラ! 太陽となって、わがハートの蓮華を至福のうちに開かせたまえ!
2. ああ、アルナーチャラ! あなたの中で世界という像は形成され、とどまり、消滅する。これが崇高な真理である。あなたは「私」としてハートの中で舞い踊る内なる真我である。「ハート」があなたの名前である。ああ、主よ!
3. 静かな心で内面に向かい、「私」という意識がどこから現れるかを探求する人は、真我を実現し、大海に流れ込む川のように、あなたの中にやすらぐ。ああ、アルナーチャラ!
4. 外側の世界を放棄し、心と呼吸を制御することで、内側にいるあなたに瞑想するヨーギは、あなたの光を見る。そしてあなたの中に喜びを見いだす。ああ、アルナーチャラ!
5. あなたに心を捧げ、常に宇宙をあなたの姿として見る人、絶え間なくあなたの栄光を讃え、あなたを真我そのものとして愛する人、彼はあなたと一つになってあなたの至福の中に消え去った比類なき師である。ああ、アルナーチャラ!
バガヴァーンは続けて『八連の詩』をどのようにして作ったかという話を、彼らしい生き生きとした口調で語りました。
「翌日、私は丘の周りを歩きはじめました。パラニスワミは私の後ろを歩いていました。しばらく歩くと、アイヤスワミが彼を呼び止めて紙とペンを渡しながら、こう言いました。『この数日間、スワミは毎日詩を作っています。きっと今日も作られるに違いありません。だからこの紙とペンを持っていってください』」
パラニスワミが私と一緒にいないことに気づき、彼が後になって私に追いついたとき、この話を知りました。その日、ヴィルーパークシャ洞窟に帰り着く前に、私は『八連の詩』のうち六つの詩を書き終えました。その夜か次の日、ナラヤン・レディがやって来ました。彼は当時、シンガー社の代理人としてヴェロールに住んでおり、ときどき私を訪ねていたのです。アイヤスワミとパラニスワミがその詩について彼に話すと、彼はこう言いました。『今すぐそれを私にください。私がそれを印刷します』。
彼はすでに何冊かの本を出版していたそうです。彼がその詩をどうしても持って行きたいと言ったため、私は最初の十一節を一つの詩の形式に、韻律の異なる残りの詩を別の形式にまとめたうえで、出版する許可を与えました。さらに詩を完成させるために必要な二つの節を即座に作り終えると、彼はその十九の詩節を持ち帰り、出版したのです。
『シュリー・アルナーチャラへの八連の詩』
『シュリー・アルナーチャラへの八連の詩』
1. 聞きなさい! それは生命のない丘としてそびえ立っている。その活動は人間の理解をはるかに超えた神秘だ。それは私が無知だった少年のころから、私の心の内に驚くべき荘厳なものとして輝きつづけていた。だが、アルナーチャラとティルヴァンナーマライが同じだと人から知らされたときでさえ、私はその意味をはっきり理解していなかった。それは私を惹きつけて心を静まらせ、私がそれに近づいたとき、それが不動のうちに立ちはだかっているのを私は見たのだ。
2. 見る者とは誰か? 内面を探ったとき、見る者が消え去り、その後に残ったものを私は見た。だが、『私は見た』という想いは起こらなかった。それゆえ、『私は見なかった』という想いがどうして起ころうか? 太古の昔、ダクシナームールティとして現れたあなたでさえ、ただ沈黙によってのみそれを伝え得たというのに、誰がそれを言葉で伝える力をもつというのか? 大地から天空までを輝かす丘としてそびえ立つあなたの境地を伝えるのは、ただ沈黙しかない
3. 私が形あるものと見なしてあなたに近づくとき、あなたはひとつの丘としてこの大地に立つ。形のないあなたの形を探す人は、虚空(ルビ・エーテル)を探し求めて地上を旅する人のようなものである。想いなしにあなたの本性に黙想することは、大海に沈む砂糖の人形のように分離した自己同一性を失うようなものである。私とは誰かを実現したとき、私の自己同一性はあなた以外の何だというのか? ああ、アルーナの丘としてそびえ立つあなたよ!
4. 存在と意識であるあなたを無視して神を探し求めることは、明かりを灯しながら暗闇を探すようなものである。あなた自身が存在と意識であることを知らしめるために、あなたは異なった宗教の中に異なった名前と形で存在する。あなたを知らない人は、太陽の存在を知らない盲人に等しい。ああ、偉大なアルナーチャラよ、比類なき宝石よ。他者のない一者として、わが真我として輝き続けたまえ。
5. 宝石をネックレスとしてつなぎ合わせる糸のように、すべての生きとし生けるものとさまざまな宗教とをつらぬき通し、一つにまとめているのはあなたである。削摩された宝石のように、純粋な心の砥ぎ石で不純な心が研ぎ澄まされれば、きずや欠陥は消え去り、外側の対象物に影響されない輝きを持つルビーのようなあなたの恩寵の光を映し出すだろう。ひとたび太陽に露出された感光板に、印画することが可能だろうか。ああ、慈悲深く、眩(ルビ・まばゆ)く輝くアルナの丘よ! あなたから離れて存在するものなどあるだろうか。
6. あなたは自ら輝くハートとして永遠に気づき続ける唯一の実在である。あなたの内には神秘の力(シャクティ)が宿るが、その力もあなたなしでは無に等しい。その力から、それまで潜在していた微細な暗黒の霧を放つ心の幻影が現れだす。それはあなたの意識の光に照らされて、霧の上に反映される。そしてプラーラブダの中に渦巻く想念として内面に現れる。後にそれは精神的世界へと展開してゆき、それから、外面に物理的世界として投影され、外向的な感覚器官によって拡大されて、映画のように動き回る現実の物事へと姿を変える。目に見えるものであれ見えないものであれ、ああ、恩寵の丘よ、あなたなしではそれらも無に等しい!
7. 「私」という想いがないかぎり、その他の想いも存在しないだろう。他の想いが現れるなり、「それは誰に起こったのか」と尋ねれば、「私に」という答えが返ってくるだろう。これを綿密に続けていき、「私の源とは何か」と尋ね、ハートの中の心の座に達するまで内面深く潜ってゆく人は、そこで宇宙最高の主となるのだ。ああ、恩寵の大海よ、ハートの宮殿の中で不動のまま舞い踊るアルナーチャラと呼ばれる輝きよ! そこにはもはや、内と外、正と邪、生と死、快楽と苦痛、光と闇といった二元的な夢はない。
8. 水は海から立ち昇って雲になり、雨となって降り注ぎ、流れとなってふたたび海へと帰り着く。それが源に戻ろうとするのを止めることは誰にもできない。同じように、あなたから立ち現れた魂が、ふたたびあなたと一つになろうとするのを止めることはできない。たとえ途中で多くの渦に巻き込まれようとも。そして魂が源へ帰る道を見いだしたとき、それはあなたの中に溶けて消え去るのだ。ああ、アルナーチャラ、至福の大海よ!